"戦前"に直面する「テロ国家」


"戦前"に直面する「テロ国家」

 パリ・テロ事件の直前、京都の立命館大学で2015年11月12日に開かれた世界平和アピール七人委員会の講演会「新しい戦前を創らないために:戦後70年の世界と日本」で「テロ国家を和解させる非暴力国家・日本:日本国憲法の反植民地主義」と言う15分の報告をしました。この報告で話したかったこと、(うまく短い報告で表現できなかったこと)について、ここに記して皆様のご意見を仰ぎたいと思います。
 先ずこの話の大前提として、安倍政権が最近の国際状況について全く意識していない大事なことに触れなくてはなりません- 今国際社会が、人類の生き残りを賭けた大変な曲がり角にある、と言うことです。それは、単なる「安全保障環境の変化」では済まない大問題- フィンランドのヘルシンキ大学教授のパトーマキさんが指摘する、今日の安全保障問題に照らし第三次大戦が起こる可能性が極めて高くなった、との問題です。1880年から今日までの国際政治経済を詳細に分析した彼の結論を、私なりに勝手に解釈して大まかにまとめます。彼はヨハン・ガルトゥング流に「可能な未来」を、選択肢の形で予測しています。最も可能性と危険性が高いのは、人類全滅核戦争である第三次大戦が北側の覇権国と南の挑戦国の間で起こる、との予測です。もし先進工業地域の国家がこれまでの総力戦国家による覇権体制を変えなければ、人類絶滅戦争はおよそ避けられないでしょう。
 しかし、起こらずに済むケースが二つ残されています。今日、世界市民の国境を越えた連携のもとで、自然環境と政治環境を根本から立て直そうとする世界的な動きが持ち上がっています。世界諸国家がすすめている新自由主義が地球の生態環境を破壊し、それが生み成す大国と巨大企業とだけでグローバル支配を続けている国際政治経済関係のもとで、世界諸国の特に南の国々の「負け組」に繰り込まれた世界人口の大部分の窮乏化が進行しています。このような現在の新自由主義グローバル秩序に対する反対運動が盛り上がり、米国中心の覇権体制を変革する可能性は出て来ているのです。
 反核平和運動や反原発運動が先進工業諸国においてもも広がりつつありますし、ウォール街占拠運動などの、多国籍巨大企業中心の賭博金融経済に反対する運動もあります。国連主導で持続可能な開発目標をめざす「世直し」運動も市民を動員しています。そのような巨大企業と超大国中心の世界を変える動きが世界市民の力で始まっていて、軍事中心の国際政治や総力戦国家金融経済に抵抗する「世直し」が成功する可能性も、僅かには存在しています。私の勝手なパトーマキ論文の解釈では、世界大戦が起こる可能性は60%、対して、自然と人間に公正で優しい新しい国際関係や新しい世界市場経済が生まれる可能性は10%くらいあると考えます。第三の可能性として第三次大戦は回避されるものの、国家と非国家のテロ対立や国家によるマイノリティいじめなど、人間の不安全状況が慢性化し世界諸国民にとっては恐怖と欠乏の日々の苦労が続く可能性が、30%くらいはあるのです。国連や近代国家は存続するが力を失い、新しい世界連邦的な非暴力世界が生まれるのにかなり長い「生みの苦しみ」が続く可能性もあるでしょう。そう言った未来展望をもとに「積極的な平和」の可能性を考える必要があると、私は信じています。
 その場合、現在安倍政権が従事しているような、米国の走狗となって反テロ戦争に参加し第三次大戦を準備することほど、愚かな選択はありません。世界平和アピール七人委員会の講演会のテーマは、「新しい戦前」- つまり「第三次大戦の戦前」の状況を打破し、パトーマキの予想では6割は起こりそうな大戦争による人類の破滅を準備する状況を作るな、総力戦国家日本となるな、との考え方に基づいているのです。テロ国家となって反テロ戦争に参加しないで、むしろ、今破壊し続けている自然と和解すべきです。
 また、格差が拡大して人類の大部分の貧困化が進んでいる世界諸国の市民とごく少数の富裕層との和解、人道介入や反テロ戦争で非西欧地域の植民地侵略を続けている米欧諸国(ウェスト)と反植民地主義で内発発展を進めたいその他大勢の国々(レスト)の和解、先進工業世界と発展途上世界との和解、を進める必要があります。日本は和解を調停する反植民地侵略国家となり、これまで米欧で出来上がっている軍事力と警察力を振り回すテロ国家とは一味違う、「非暴力国家」とならねばなりません- 憲法前文と第9条の謳う最初の非軍事的モデル国家に、ならければならないのです。
 我々は先ず、国家テロ問題と取り組む必要があります。米国自体がアフガニスタンやイラクで容疑者を誘拐して拷問にかけてきたテロリズムも、今、西欧でのイスラム系移住労働者街の警察による監視や、容疑者の逮捕と言う形のテロリズムも進んでいます。これは、人権の立場で非難されてはいます。しかしもとを正せば、西欧列国の国家テロリズム体制は植民地支配を含めて、こんな状態がもう四世紀も続いているのです。16世紀の宗教戦争(30年戦争)を終結するためにウェストファリアの和議において作られた「近代国家」自体が、もともと「テロリズム国家」だったのです。憲法に軍隊の放棄を謳う日本とコスタリカを除けば、現在もすべての「普通の国家」は「人を殺す権利」を持つ「殺人国家」と言えるでしょう。近代主権国家はけだし、マックス・ヴェーバーが書いたように「正当な(軍事・警察)暴力を独占する制度」なのです。つまり、ウェストファリア条約で生まれた「近代主権国家」は、つまるところ人を殺す権利を持つ「テロ団体」と言っていいでしょう。もともと近代主権国家ができたきっかけとなったカトリックとプロテスタントの宗教戦争は、キリスト教を世俗化した西欧民主主義とイスラーム原理主義の間で今、再び起きているのです。
 平穏な生活をしている市民が宗教紛争に巻き込まれる状況をなくす手立ては、ウェストファリアの和議で西欧文明諸大国の間で作られ、このパリのテロ事件が起きるまで続いてはいました。例えば30年戦争の間、西欧諸国では各国内の教会や貴族が持つ雇い兵や警察の暴力が、国内社会をテロ社会にしていました。この状態を終結させるために、ウェストファリアの平和会議では軍事力と警察力が、国王または主権国家だけが待つ「殺人の権利」として定義されました。市民は自分が従来持っていた武装を解除して、国家だけが軍事力・警察力を持つこととひきかえに、国家は市民の安全を保障しその福祉にも貢献すると言う、国家と市民との安全契約が造られました。この契約は基本的には、今日まで続いている訳です。やがて市民が頑張って国王を抑え国家を民主化し、このようにして西欧に生まれた「殺人国家」に人権を守らせることに成功しました。ただし、それは西欧の文明国同士でのことで、西欧(米欧)の植民地にされた非西欧世界(レスト)では、植民地支配国家と植民地化されたり奴隷にされたりした民衆との間には安全契約などがなく、「平和に生存する権利」を侵されっぱなしの状態が続いていました。国連が成立し国際法が整備され植民地独立が成し遂げられたあとでも、この状態が続いています。例えば今でも、非西欧世界を民主化する「人道介入」の美名に正当化された形で、外部からの「人権」と「自由競争」の押し付けや資源収奪が、先進工業民主諸国によって進められています。
 また反テロ戦争と言われている「戦争」は、米欧以外の植民地地域の非国家的テロ集団を懲らしめると言いながらその実体は、米欧テロ国家が南の国々の民衆の「人間としての安全の権利」を侵害する「軍事介入」に他ありません。国家以外の民衆の集団が軍事力をもって、ウェストファリアで文明国家と文明市民が交わした契約と無関係な「国内」紛争を起こして来たにもかかわらず、米ソ冷戦が終結したあと、そのような非西欧地域の紛争を「解決」するために、国連や米欧有志連合が「民主化して平和を創る」名目のもと、特に大国が狙う石油や希少金属を持つ開発途上国に選択的に武力介入して来たのです。ところが、今や米欧は非西欧の紛争を高見の見物はできなくなってしまった- 結果的に市民の平和に生存する権利を否定する無差別テロが、フランスにまで波及してしまったのです。
 結局フランスでも緊急事態・非常事態が宣言されました(立命館大学で話した時にはまだ事件は発生していませんでした)。このような緊急事態が起こった場合、「国家」は「人権国家」としての市民との契約を無効にして、「殺人国家」という純粋な主権国家になるのです。そのようになりたいからこそ、安倍首相はまず緊急事態における自分の権利- 「殺人国家」の独裁権を明確に憲法に盛り込むことを強調しています。「非常事態」下の国家は、ウェストファリア条約時に成立した近代主権国家の真の姿です。そのことを強調したのが、ヒットラーの権力の正統性を主張したカール・シュミットというドイツの憲法学者でした。
 シュミットは近代国家について、人権や民主主義の化粧をおとした非常事態の時の国家権力がその真の姿であることを力説しました。ヒットラーの独裁が非常事態を宣告し恐怖政治やテロリズムを実施したことは、本来国家の赤裸々な姿を暴露しただけのことだった。そう主張して、民主テロ国家についてかなり本質的な批判をして来たのです。彼の説に関しては右翼の立場に立たない法学者も、国家批判として重視しています。
 ヒットラーを真似ると決めた安倍政権は、今後ISISイスラーム国家が、すでに予告しているようにジャカルタやクアラウンプールの日本大使館にテロ攻撃をかけたら、緊急事態を宣告して独裁体制を一時的にでも日本全国あるいは沖縄県に敷くでしょう。この危険性を、憲法を守ろうとしている私達も十分考慮する必要があります。今日の安全保障を市民の立場で考える場合、問題は日本が「殺人国家」になることを拒絶して来たことを改悪して、「テロ国家」「殺人国家」軍の一員になるかどうか、と言うことなのです。
 日本は、第二次大戦を含む15年戦争、あるいは琉球王国と朝鮮王国の「併合」を含めて「テロ国家」として、周囲の諸国家を植民地侵略しました。そのことを反省し米欧諸国に先んじて、植民地主義が人道に対する罪であると自覚する必要性を、「世界諸国民が平和に生存する権利」との視座から認めたのです。そうすることで「テロ国家」と違う新しい「非暴力国家」の最初の実例になろうとして、「平和憲法」=「反植民地主義憲法」を制定したのです。この構想を実現するためには当然、東アジア諸国の和解、国連の改革、そして日本国内での総力戦国家体制に代わる地域の参加民主主義、生命地域中心に伝統知を生かした地域おこしをすすめつつ、その下からの民主的な政策提案をうまくまとめる連邦制国家を作るべきなのです。
 このことは、今環境運動をしている地域市民によって主張されています- このような地域自治をもとにした連邦国家に、日本はなるべきなのです。例えば沖縄県民は、そう言った新しい日本を作ろうとしているのです。日本が模範になって地域民主主義国家のモデルを世界に示し、非暴力国家を基盤にした世界連邦を構築する大事業を進める必要があります。憲法9条の完全実施は、世界連邦が完成し世界の警察活動を担当する時を待たなければなりません。それまでにできること- 例えば東アジアの非核地域を作るとか、太平洋とインド洋を「平和の海」にする海軍軍縮会議を開くなど、「殺人国家」の出番をなくす形での、人間(中心)の安全保障により治安維持を行う地球の脱軍事化、を進める必要があるのです。
 地球は環境破壊、温暖化による海面上昇問題、生物多様性の破壊、と言う非常事態のもとにあります。この非常事態に対し、人権を停止する国家の軍事力・警察力への依存、では全く解決になりません。むしろ南北が和解し、「殺人国家」を創らないで済んだ先住諸民族の知恵や、「殺人国家」を否定して来た先進工業地域住民のエコ民主主義を自由に展開できるような多様な文化の共生を、盛り立てる新しい「非暴力」国家を作る必要があるのです。日本は「殺人国家」となったことを悔いて、模範的な反植民地主義・非暴力国家になる憲法を持っているのです。これを活用して世界に貢献する日本を構築することこそ、真に日本を愛するわれわれの務めだと思います。
 今世界は、生態系を持続不能にしているグローバル政治経済の生態系破壊のもとで、地球上のすべての「生きとし生ける」ものが死に絶える危機のさ中にあります。この非常事態を終わらせるために、今年12月にはパリで地球温暖化問題に関する国際会議が開かれます。しかし、そこで先進工業諸国と開発途上諸国との今日までの植民地主義をめぐる対立が続いている以上、抜本的な解決の可能性は期待できないでしょう。
 先立ての立命館の講演会で、時間がなくなり割愛せざろうえなかった蓋し私が最も主張したかった内容は、今から見ると、パリ・テロ事件直後に同じパリで開かれる温暖化サミットにおける、テロと共通するであろう植民地主義をめぐる南北対立の克服に関してのものです。パトーメキさんでさえ西欧からの視点ばかりで、十分この問題に触れていません。60%もある第三次世界大戦の脅威は、中国の反植民地主義巻き返しをめぐる米中対立に由来し、30%の不安全の世界的な慢性化は、中近東に西欧植民地主義が造った不安定な「秩序」をめぐるパリ・テロ事件を含めての、米欧諸国とイスラーム国とのテロの応酬が作り出しているものです。
 双方とも、19世紀後半から第一次大戦・第二次大戦にかけての米欧植民地主義への巻き返し作戦の展開に、米国と西欧が受け身の国家テロリズムで対応している状況に過ぎません。歴史的にとらえれば前者は、中華帝国末期のアヘン戦争に始まり南京大虐殺の悲劇を生んだ西欧植民地大国の植民地拡張競争が海のシルクロードを通って中国を分断支配したことへの中国の巻き返しです。中国はその苦難の時代を振り返って、海のシルクロードと乾燥地帯のシルクロードをつないで巻き返しを計り、アジア・アフリカの反植民地主義の経済発展を進めようとしています。それが中国の、一帯一路(中国の新政策)の開発協力計画の歴史的な意味です。この大計画は当然、米欧中心のアジア・アフリカの開発・支配体制と真っ向からぶつかっているのです。
 しかも一帯一路計画を裏打ちする形で、中国は鄭和(明の武将)以来の海軍の伝統を復活させて、太平洋とインド洋での核武装した米国と欧州海軍の海の独占体制を打ち破ろうとしているので、それを防ごうとする米国の海賊型挑発に遭っている、との構図が、南沙群島問題の真の姿です。
 一方、イラク・シリア・イスラーム国はテロ国家を構築中ですが、結局その建国とは、植民地主義が勝手に線引きして地域諸国が互いに争うように仕向けた西欧植民地主義の遺産を地域市民の主権下に取り返す「正戦」だ、と主張しています。第一次大戦後、英仏両国は典型的な植民地支配テロ国家としてオスマン帝国を解体し、パレスチナ人の領土にイスラエル国を創り、オスマン帝国のレバント地方を英仏の利権を反映する形でイラク・シリア・イスラエル・レバノンに分割統治したのです。  イスラーム国は、テロ軍人集団と旧イラク・サッダム・フセイン政権の官僚が協力して出来ているので、西欧有志連合の爆撃さえ続けなければ少々時間はかかりますが、テロ軍人支配は長続きせずにしっかりした官僚による平和なイスラーム国家が生まれる可能性はあります。しかし、そうされては介入できなくなるという思惑で、米欧テロ国家連合がイスラーム「テロ」国家(準備政権)とレッテルを貼り、テロ戦争を続けているのです。しかるにその実態は、新しい植民地を創るイスラエル・米国・西欧のテロ国家連合と、反植民地主義の新しい国家を創りたいテロ・官僚連合国家との終わりのない紛争なのです。
 日本では、安倍政権がこの二つの紛争で、米国側の走狗になることばかり考えています。そして反安倍の側でもこのことについて議論する際、植民地主義と反植民地主義の危険な紛争を両陣営の和解によって実現しよう、と言う発想が全く欠落しているのです。
 実は日本は、自らがこの両紛争の反植民地主義の側にかなり大きな影響を与えたことについても、全く理解し反省していないようです。この問題については、改めて7月に南京に、10月にはジョクジャカルタに行って、そこで学んだことを報告します。ここではただ、日本と日本人の歴史的な責任についてのみ記します。
 今、中国が強大な総力戦国家となろうとしている背後には、再び南京大虐殺が起きてはならないと言う植民地侵略の歴史的な経験があり、日本の植民地主義侵略が英国のアヘン戦争経験よりも決定的な反省材料になっていることを、忘れてはなりません。またイスラーム・テロリズムが「自爆テロ」を乱発している背景として、1970年代初頭に日本赤軍が「自爆」戦術をパレスチナで非暴力インティファーダを展開していた反イスラエル闘争勢力に教えた、と言うことを忘れるべきではないと思います。それでフランスでは今でも、「自爆テロ」を「カミカゼ」と呼んでいるのです。反中国・反テロ国家路線を選ぼうとしている安倍政権のみならず、我々すべての日本市民は非暴力・反植民地主義の憲法によって、これまでのテロ国家主義・テロ反国家主義を同時に克服する大変困難な国民としての自省、に努めるべきなのです。今日を新しい第三次大戦の「戦前」にせず、テロ国家間紛争の「戦中」にしないためにも、われわれは中国バッシングや「テロ国家」無差別空爆テロへの加担をやめて、非暴力国家の先駆けになるべきだと確信しています- 皆様のご意見が伺えれば幸いです。