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和解のための対話

長い20世紀が核兵器を開発した帝国主義・植民地侵略競争の世紀だったことを反省して、21世紀が核兵器保有帝国主義の世紀ではなく、「和解の世紀」にするためのSDG対話を開く「和解のための対話」第一号とする。

1. 問題の所在 日中両国における国内和解は、日中の国家レヴェルにおける和解なしには進まないことを確認する必要がある。それと同時に、日中両国の和解は、両国内の少数民族・先住民族との和解と密接に関連付ける「和解のための対話」を展開したい。  2.提案の背景:南京大虐殺記念館入り口に「国家の統一がおびやかされると、外に侮りを受ける。南京大虐殺が再び起こらないためには、分裂を許さない強大な中国の一体性が不可欠であることを主張していて、中国における少数民族政策は、南京大虐殺の記憶をうち消す日本との和解は不可欠である。一方、日本におけう沖縄県を米軍事基地群島化の人間不安全は、米国への日本の従属関係を清算しないかぎり解決できない。この従属関係には、中国に対する米軍の「前方展開(Forwards-Deployment)」において琉球弧が、米軍の対中国前方展開基地であり続けることで、日中和解が困難になっていることに密接に関係している。したがって、日中両国における少数民族・先住民族の平和的生活権は、日中両国の和解が成立しないあいだ、両国の少数民族・先住民族の平和に生存する条件を保証することは極めて困難である。その意味で「21世紀を「和解の世紀」にするSDG対話の中心的な課題として、「日中両国の和解と両国における国家と少数民族・先住民族の和解の問題を取り上げる。

3.和解」を裏付ける法文化的な諸理念中国と日本における国家と少数民族・先住民族の間の対立状況は、中国でも、日本でも、国家と少数民族・先住民族との和解を支える文化的な内発的な法理念、社会理念が存在している。これを手がかりにして、和解への対話を進めることが可能である。少数者と先住民族の権利を明確に主張している国際的な人権法のみに頼らないで、この権利を内発的に支える、中国の「和偕」と日本の「共生」の倫理にささえられた「和解を求める対話」を展開することができるはずである。

4.1 中国では、「中華民族」という、漢民族と少数諸民族の対等な伝統価値の尊重に基づく共生による多文化的な中国人民の国民的な「アイデンティティ」が、1960年代に費孝通によって提案されて、中国共産党によって認められている。また、習近平主席の一帯一路国際発展計画は「互学互鑑」によって、地域的に参加するローカル諸地域共同地の協力、社会発展の方向の決定に参加することがうたわれている。

4.2 日本では、広島・長崎の被爆者も、日本の周辺諸国に対する加害者でもあることを認める故本島長崎市長の例にみられるように、20世紀の植民地主義侵略への反省があり、これが、日本国憲法の前文と9条特に2項に表現されている。この反帝国主義・反核の姿勢は、故本島等長崎市長の例にみられる、被爆体験の被害者の意識と、日本国民として植民地主義侵略とこれに伴う残虐行為の加害者の反省の意識がかさなっている。被爆者を含む日本国民は、日本国憲法の前文における「平和に生存する権利」の確認と、憲法9条特にその2項において、日本がふたたび軍事侵略を行わないことを誓い、同時に帝国主義が核化することに反対する姿勢を貫くべきである。日本国の市民はまた、特に琉球先住民族への日本国家の「処分」について、謝罪する気持ちをいだいている。特に琉球王国の併合や、第二次大戦下で戦場と化した沖縄の非戦闘員市民を巻き込んで多大の苦しみをあたえたこと、そしてまた現在も、米軍事基地群島の閉鎖された島々で、人間としての安全が絶えず破られる閉じられた基地群島で生活することを強要されている。これに対して、非暴力抵抗をする市民には警察権力が収監などの処罰をもって対処している。このことへの日本本土の市民の反省は、マスメディアによって不可視化されている。

5.このSDG対話の狙い:「21世紀を「和解」の世紀とする「国際インターネットSDG対話」のなかで、「日中両国の和解」と両国における少数民族・先住民族との和解は、国家を絶対視し、帝国主義・植民地主義競争に駆り立ててきたウェストファリア国家体制とは異質の人間中心、生命中心、内発文化中心の「和偕」「和合」「共生」があり、多数者の独りよがりを否定する倫理が働いている。そういう内発的な倫理と、西欧で発展した普遍主義的な人権とを、ウマク纏めていく話し合いが必要である。ウェストファリア国家の枠内でそだってきた人権と、の立場で、その権力志向、競争志向を中和する伝統知を対話によって組み合わせる、そういう「和解」のための対話をすすめたい。その場合、弱い立場にある少数民族・先住民族の立場で、人間の安全を保障する体制をウマク立ち上げる必要がある。国家の立場をそれぞれのローカルな住民、そのなかの弱い立場にあるヒトビト中心に「和解」をすすめるために、少数民族・先住民族の若者を中心にして、国家が進めている計画を、ローカルな人々の立場で評価する人民とくにマイノリティの立場からの評価をまとめて、国連の人権きじゅん、あるいは人間の安全保障基準を解釈するネットワークを作っていく必要がある。そういうネットワークで主体的に活動できる活動家、特に少数民族、先住民族の若者に、国連での人権基準とのすり合わせ方を教えて、固有の内発発展の道を国連でも理解してもらえるようにする若者の養成が必要になる。日中両国の間で、少数民族・先住民族の立場を多数者の市民が理解して、まずそこから、「和偕」「和合」「共生」の動きを作っていく、そういう日中両国間、そして両国の国家と少数民族・先住民族の対話を進める。いうまでもなく、この対話には、第三国の市民からの質問や助言によって支えられるべきである。 この日中間の和解についてのSDGインタネット対話を、「21世紀を「和解の世紀」にするSDG 対話の第一号にしたい。

— posted by mushak at 09:47 pm   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

核帝国主義時代20世紀と決別する2020年

 2020年東京オリンピックの年は、日本国憲法の「平和に生存する権利」とその適用である第9条、特に第2項が、国民投票によって再確認されるべき年でもあります。そこで、かつての冷戦よりも世界各国のヒトビトと自然の安全が日常的に脅かされ続ける暗黒の時代になろうとしている危険な現状をくい止めるために、20世紀以来の核帝国主義と決別する人類の意志を力強く示す必要があります。そのような大イヴェントによって、オリンピック開会式を歴史的な意味のある式典にできたら、という提案をします。これは、七人委員会とは関係のない、あくまでも私個人の「夢」です。この「夢」の起源は、平昌オリンピック開会式のテレビを視ながら七人委員会のアピールを読み返していたトランプ大統領の「核態勢の見直し」と、これに対する河野外相の談話に関するこのアピールの次の一節です。「この度の政策は、昨年成立した核兵器禁止条約に真っ向から挑戦するものであり、米国も加盟している核兵器不拡散条約の、核軍備競争の早期停止と核軍縮についての誠実な交渉の約束にも明らかに違反するものである」 明らかにトランプ政権は「核兵器禁止条約」に挑戦しその正反対の方向で、小型化した核の実戦利用にのりだしているのです。トランプ大統領の見直しは、生物化学戦のほか、ハッカーを使う電子戦争、人工知能を駆使する金融戦争など多様な戦闘手段と組み合わせて、小型核をそのまさにトランプ(切り札)にする多面複雑核紛争戦術をあみだしたのです。そうすることで20世紀の核帝国主義を越えた新しい冷戦の暗黒時代に入ろうとする世界の不安定化を、止める必要があります。

 それには19世紀後半から20世紀にかけて、帝国主義つまり大国間の植民地主義侵略競争が、広島・長崎で核爆弾を投下するところまでエスカレートしてきたことを振り返り、これにはっきり「ノー」という「核兵器禁止条約」によって代表される人類の意志を確認する必要があるのです。日本も現在の様に国際的な失笑を買うばかりの変な自己弁解史観をふりまわすのをやめて、日本だけが悪いのではないものの、日本も植民地侵略をしたとの過ちを米欧諸国に先立って認め、核兵器の非人道性に目覚めている唯一の大国として、「核帝国主義」の罪悪の「罪滅ぼし」の先頭に立つべきです。2020年東京オリンピックの開会式か前夜祭において、「核の傘」が役に立たない時代が始まっていることもイメージできるような20世紀核帝国主義歴史絵巻を東京オリンピックの「売り物」にすべきです。例えば、空襲の歴史- スペイン市民戦争時のヒットラー空軍ゲルニカ空爆、日本軍の重慶爆撃、米英空軍のドレスデン爆撃、真珠湾空爆、東京・大阪空襲から広島・長崎原爆投下にいたるイメージングなどを、是非若者にも見てもらいたいものです。

   しかし日本のオリンピック関係者が、私の夢を現実にはしてくれないことはよく知っています。実はこれと並行したもっと現実化できる「夢」もあります。それは、東京でなく、富士山か伊勢あたりで、「20世紀核帝国主義時代を振り返り、これと決別する国際研究集会」を、ピースボートと九条の会で開催して頂くことです。20世紀の核帝国主義を、日本国憲法前文の「平和に生存する権利」の立場から批判して、九条の歴史的な意味を核帝国主義反対の立場で浮き彫りにするのです。すでに、1998年韓国光州で「アジア人権憲章」を公表したアジア人権会議、その生命権・平和権と人間の安全保障を継承した2011年にスペインで開催された「平和への権利」サンティャーゴ・デ・コンポステラ国際会議が、平和的生存権について議論しています。この両会議で議論された成果を生かして、反帝国主義・反核の充実した国際対話が出来ます。両会議の流れを汲んで「20世紀核帝国主義」の克服を宣言することは、日本国憲法の九条を護持するうえでも、時宜にかなっていると思います。またこの国際研究集会は、メディア報道によってオリンピックで日本を訪れる世界のヒトビトにも、「核兵器禁止条約」の重要性と広島・長崎の被爆者を中心とする日本市民の平和主義を理解してもらうきっかけになると思います。



 追記:紙面の関係で省略した説明を付記します。

1.ここで使用している「多面複雑核戦術」とは、先ず前提として、従来の米国とNATOの核兵器に関する軍事学の厳密な「相互確実破壊」核戦略による核戦争の抑止とこれに基づく「核の傘」理論を完全に否定、新たに核戦略を補完する柔軟対応核戦術と呼ばれる、仮想敵の実戦核から低強度作戦(テロやデモ)までのすべての軍事レヴェルの攻撃に対抗する軍事力を保有し、全世界に前方展開基地をもつ冷戦時代からの軍事力保持戦術を充実させ、生物化学戦のレヴェルでの遺伝子操作を加えるとともに、反テロ低強度戦術にはテロ容疑者尋問の心理戦・ツイッターなどSNSの宣伝戦・ハッカーを利用する情報攪乱戦術・株価操作の金融戦の諸技術を加えたうえで、小型化された実戦核兵器と複雑に組み合わせることで軍事紛争と警察行動の敷居での諸紛争に対応し、結果核レヴェルでの軍事・警察活動を多面的に組み合わせる戦術です。北朝鮮が1970年代までの米国の「相互確実破壊」戦略を模倣している時代遅れ諸実験、米国の核戦略的優勢にたよる日本の「核の傘」議論の時代遅れの政府議論は、この新しい米国の核戦術を全く理解していないことを付記します。

2.上記の米国の核態勢見直しは、「核不拡散条約」を無視するばかりでなく、同条約を国際的な法秩序の不安定化をもたらす危険な条約にしています。同条約の不平等条約の二級諸国のなかで、事実上核兵器を所有している、イスラエル、インド、パキスタンと、この条約の不平等性に挑戦する北朝鮮が現れて、「核不拡散」条約の法的規制力、法的安定性を失わせています。にもかかわらず、イラン・イスラエル間、米国と朝鮮の間の核戦略体制は、核軍備規制と核の「平和利用」という原発の廃棄を困難にする条約になっています。国連軍縮局は1990年代に核兵器の非人道性を強調する軍縮教育よりも、「核不拡散教育」によって核非保有国の手を縛り、核保有国の遅々とした保有核の逓減を許しています。その意味で「核兵器禁止条約」の確立とともに、「核不拡散条約」を廃棄する必要があります。同時にこの条約で現在原発全廃への抵抗勢力の拠点となっているIAEAを改組する市民運動を組織する必要があります。

3.核帝国主義時代として20世紀を捉える場合、まず20世紀をアリッギのいわゆる「長い20世紀」として、19世紀後半- たとえば英国と中国との阿片戦争以来の、欧米による非西欧世界の植民地化の一世紀半を含める必要があります。そして、明治期日本が植民地化されないためには自ら強大な植民地支配国となるべきだ、と教えた吉田松陰の教えに従った明治日本が、北はアイヌ民族を従えてアリューシャンまで、西は韓国を併合して中国に満州国を建国、南には琉球王国を併合して、台湾とフィリッピンを植民地化していった「幽囚録」のありさま- その到達点になった広島・長崎の核投下に至る日本の核帝国主義の末路を、貴重な教材とする「懺悔道」(田辺元)を手掛かりにした広島・長崎に福島を加えた軍事核と平和核を含む総合的な反核・反帝国主義の立場で、「長い20世紀」を捉える必要があると思います。

4.日本ではあまり知られていませんが、日本国憲法前文の「恐怖と欠乏を免れた平和に生存する権利」を主張するアジアおよびラテンアメリカの二つの平和的人権運動のよる人権宣言があります。第一に、1998年に光州で公表されたアジア人権憲章があります。1990年代に香港の「アジア人権評議会」がアジア各地で開いた人権活動家・弁護士・法学者の研究会議での議論を集約した成果を集めたアジア地域の反帝国府議的な人権文書で、世界人権宣言を支持しながらアジア民衆の立場として、人権の基本を生命の権利、これを支える平和に生存する権利と、これから流れ出る諸文化共同体に固有な生活文化権・多様性と内発性から、思想の自由権・不当な政府圧政への抵抗権等を記している日本国憲法の「平和的生存権」を、アジアの生きとし生ける命の尊重として協調しています。第二は、ラテンアメリカでチリはじめアルゼンチン・ブラジルなどの軍事独裁政権と闘う民衆が主張した、軍事独裁の国家安全保障に対抗する「民衆の安全保障」です。これにより、「人間の安全保障」の基礎になった「平和に生存する権利」を主張する「平和への権利」が生まれました。この権利外縁は、ラテンアメリカ先住民族の伝統的な人権思想、パチャママ(母なる大地)、スマックカウザイ(喜びに満ちた天地の秩序に支えられた善き生活)を吸収して、ラテンアメリカ特有の人権思想になりました。これを国連に認めさせようということで、ラテンアメリカ民衆の奴隷化及びその資源の収奪の加害の歴史的責任の反省のもとで、スペイン人権運動家が支持して開いた一連の準備会議を総括し、スペインの巡礼地であるサンティアーゴ・デ・コンポステラで2011年に開かれた国際大研究集会で採択された「平和への権利」宣言があります。この集会ではアジア人権憲章と日本国憲法の大原則が取り入れられて、「生命とその多様性」尊重の原則と、平和的生存権に基づく「人間の安全保障」の権利が主張されています。両人権文書は、アジアとラテンアメリカの内発運動から生まれた反植民地主義・反帝国主義・平和主義・内発主義によって、20世紀の核帝国主義の克復を主張する2020年の「核帝国主義時代20世紀の克復」の格好の手本となると思います。

5.ピースボートと憲法九条の会の協力は、すでにピースボートによる憲法九条の国際キャンペーンの歴史に支えられていると信じます。言うまでもなく、余計な口出しはいたしません。ただ、紙面の都合で省略した「核帝国主義時代20世紀」に続く21世紀の可能性を、核帝国主義が集中した欧亜大陸と太平洋(とインド洋)の反核・反帝国主義の可能性を模索する未来に開かれた国際研究集会になる必要があると思います。そこで、反帝国主義の立場をとる中国の一帯一路政策を反核の立場に立って批判的に支持することが必要だと思います。先ず、一帯地域の非核化の検討を儒教・仏教・イスラームの非暴力非核思想との対話を開始すること。また、一路の非核化について、太平洋・インド洋の非核化における、ラテンアメリカを含む海洋アニミズム文明の平和的生存思想との対話を開始すること。この二つの対話によって、21世紀を支える国際集会になることが必要です。この内陸一帯と海洋一路を打ち出して、平和に生存できる多様な文明間の和解を探ることができれば、2020年に新しい非核・脱帝国主義の時代への再出発の年にする道が開かれます。この線で、ポスト近代世界市民社会の形成に向ける国際市民会議という世界が必要としている、かけがえのない国際集会を企画することをお願いしたいと思います。

— posted by mushak at 12:55 pm   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

賀正

 政治・軍事的にも、金融経済的にも、世界が危機の時代に入る新年のご挨拶をお受けください。国際徘徊癖の老人のたわ言にも、それなりの意味があると思って書く賀状です。

 まず、犬の年に因んで、一つの話題をとりあげます。一昨年訪れたマレーシア中部山林地帯の先住民族オラン・アスリの山村、大量消費文化に毒されていない二匹の犬に学んだ仲直りの作法、今日本が一番学ぶべきだと思っています。大きな先住民族の高床のかやぶき家屋の周りをキャンキャン喧嘩しながら駆けずっていた犬が急に静かになったので、よく見ると二匹とも、だまって10メートルはなれたところで互いに直角の方角にソッポを向きしっぽをふって、時々片目で相手のしっぽを見ていました。しっぽを振っていることをどちらもやめないことを、3分くらい確かめた後で二匹とも互いに近づき、何事もなかったように仲良くなりました。下手な弁解交じりの文句ばかリ言って、周辺諸国との喧嘩を続ける日本の政治家に、是非、マレーシャの二匹の犬たちのように文句をいわないで互いに友好的な尻尾振りをする知恵を学んでもらいたいものです。

 もうひとつ人間社会に戻って、最近観察したことを書きます。社会主義政権時代に3度だけモンゴル人民共和国を訪問した経験からの観察です。
 日馬富士関と貴の岩関の紛争を見ていると、モンゴル国の歴史の経験の重みを感じます。70年間ソ連に協力する社会主義時代と冷戦後27年間の新民主主義時代の中で、社会主義時代にも生き残った遊牧家父長主義の伝統仏教社会の人間関係を日本の相撲の世界で再現させている日馬富士関のスタイルと、社会主義時代の平等主義と冷戦後の民主化に伴って出てきた若者が対等に年長者と付き合う貴の岩関のスタイルの違いは、モンゴル国の今日の世相をよく反映しています。伝統を守りながらより平等で自由な社会を創りつつあるモンゴル国では、世代間の生活感覚の相違など苦労が絶えないようです。それにも関わらずモンゴルの市民社会は、伝統を大事にする民主主義社会を構築しようと努力しています。今回のモンゴル力士の紛争が起こった影響で日本の相撲界も、伝統を守りながらより非暴力的で平等な人間関係を受け入れるように成長していくでしょう。
 しかし日本の中では、今回の事件の背後にあるモンゴル社会の世代関係のことが全く触れられていません。今日の日本のメディア世論の閉鎖性を痛感しています。モンゴル国では、もう一つ日本で十分知られていない素晴らしい平和国家を構築していることも、もっと注目すべきでしょう。小国ながらも、中国とロシアという核大国にはさまれていることを逆に利用して、非核化宣言をして東北アジア地域の模範になっています。そういう独自の政策をとりながら、ウマク中国ともロシアとも友好関係を保っているのです。

 相撲に限らず非核化などについても、われわれ日本市民は民主主義と平和主義とをモンゴル国のクニや市民たちに学ぶべきでしょう。そうすることで2018年が日本にとって、中国とも米国とも対等につきあえる民主主義と平和主義のクニになる、新しいクニづくり元年になることを祈っています。

— posted by mushak at 12:00 am   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

世界平和アピール七人委員会での提言:「朝鮮戦争の休戦協定を忘れて、第二次朝鮮戦争を準備してはならない」

 今日、朝鮮(一々「北」と念を押さない)の「挑発」に対する国連安保理の制裁決議を強化する言説ばかりが往生して日本の安全を脅かしている。今東北アジアで起こっている核戦争準備の動きを食い止めるのには、その近代史における発生の根本原因に立ち返る必要がある。それは、朝鮮戦争における朝鮮と国連と米国との選んだ道の新しい交点として、今日の朝米相互攻撃の論戦の後ろに隠されている「本当の国際安全保障の大問題」をハッキリ認識する必要がある。そうしない限り、問題は金委員長の乱暴な核戦略軍の大展開という形で、彼を止めればよいという形に矮小化されて、その本当の恐ろしさが見えて来ない。朝鮮戦争は、金日正主席によって開始された。しかし、ソ連が中国問題で国連をボイコットして、安保理が米国の完全な支配下にある時期に起こったのには、米国側の巧みな挑発が効を奏した側面がある。そのおかげで、国連軍が米国の指揮のもとで組織されたのだ。国連軍の指揮は、日本占領軍の指揮官マッカーサーが任命された。マッカーサーは、日本軍の降参を招いた核兵器を用いた攻撃によって、一気に朝鮮戦争を終結させようとした。しかし、トルーマン大統領は核戦争が人類の滅亡を招くことを正しく恐れて、彼を解任し、マシユー・リッジウェー将軍が国連軍の指揮官となった。休戦協定は、ソ連の国連代表アダム・マリクの休戦提案に応えたリッジウェー国連軍総司令官が、金日正と彭徳懐に休戦協定を提案、1953年7月27日に調印され、国連軍総司令官アーサー・クラークと中国人民志願軍総司令彭徳懐、朝鮮人民軍総司令官金日成が署名した。その結果、スイス・スエーデン・ポーランド・チェッコスロヴァキアによって構成された中立国監視委員会が、協定の実施を監視する体制が確立され、捕虜交換・38度線と俗称される軍事境界線の設置・朝鮮半島全土への兵員や兵器の流入の禁止が守られるようにした。そのことは今日では、全く忘れ去られている。

 その原因となったのは、1957年6月の米国(国連軍)の韓国への核兵器・ミサイル持ち込みを禁止する休戦協定の13節の一方的な廃棄宣言、その後の北侵を目指す米韓合同大演習に対応して朝鮮が2009年に、もはや休戦協定に効力はないとして休戦協定脱退を表明したという、休戦協定が事実上実効性を失ったことにある。その後、韓国側では朝鮮の責任に帰している天安沈没事件、公的にも南北軍事紛争として位置づけられる朝鮮による延坪島砲撃事件などの争乱があった。国連総会では、早くから(1975年)休戦協定を平和条約におきかえて国連軍を解散する決議が採択されている。1996年には国連安保理において議長声明の形で、平和条約が成立するまでの間、休戦協定が十分に順守されるべきことを申し合わせている。その後、休戦協定から平和条約への移行手段として、いわゆる六者会合を重ねることで、米国が朝鮮側からの二国間交渉の提案を無視して来た状態の継続を改善する方向での、第三国あるいは民間レヴェルでの努力が続いている。

 これについては、拉致問題の交渉中断状態の克復とともに、朝鮮国内のタカ派・ハト派諸政治勢力のハト派的な合意を進めることを日本が努力を重ねることで、中立監視委員会の機能停止による休戦協定の機能回復を下支えする必要がある。小泉・金正日のピョンヤン協定では、「朝鮮半島の核問題の包括的な解決のため、関連するすべての国際合意を順守すること」が確認され、「核問題及びミサイル問題を安全保障上の諸問題に関して関係諸国間の対話を促進し、問題解決を図ることの必要性」が確認されている。小泉首相に対して金正日総書記は「ミサイル発射のモラトリウム(一時停止)」の継続を約束し「六か国協議の場でも話合っていく」姿勢を明らかにして、ハッキリと「朝鮮半島の非核化が目標だ」ということを確認した。このように、休戦協定に立ち戻って朝米平和条約への道を準備することについて、日本が調停役を引き受ける道も開かれていた。しかし拉致問題は、帰国した被害者を朝鮮に返す約束を日本が守らず未解決にしたとして平壌合意を無視したまま、これまた日本側にも朝鮮側にもその事実が忘れられている。この問題については金正日総書記もその解決を約束したが、その「解決」が朝鮮国内のタカ派政治勢力の協力を必要としているために、圧力では解決できない、巧妙な交渉を必要としている。これに対して休戦協定の初志に戻ることは、朝鮮国内のタカ派・ハト派の合意が相当程度可能である。なぜなら朝鮮のタカ派もハト派も朝米直接交渉を目指して、核拡散条約を盾とした核特権保有国米国に対して、核を持っても核拡散条約の核非保有国という二流の国家扱いされることに関しての不当性については、完全な見解の一致をみているからだ。

 国連安保理では、マッカーサー解任において開いた米国覇権のもとでの核戦略を国際条約に仕立てあげた。それは米ソ両核超大国の核均衡を安定させるために、核保有国が増えないようにするために、核保有国間の軍縮・軍備規制を許しながら、非保有国には絶対に核保有国になることを拒否する、核の保有国と非保有国を分割する不平等な核拡散防止条約を中心にすえた核兵器の均衡体制ができあがった。この条約も、核を保有しているイスラエルをはじめインド・パキスタンが核実験に成功し朝鮮もこれに続いたことで、非核保有国が核を保有し始め、事実上この核不拡散体制は崩れ始めている。一方核兵器について、最近になってようやくこの不平等条約に代わる核兵器廃絶の動きが進み始めている。しかしこれまで国連は、核拡散防止教育を推進するなど、核の非人道性について世界の市民に教えることを怠ってきたという経緯がある。今回の安保理での朝鮮制裁は、核拡散防止条約から脱退した朝鮮にこの条約の定義する「核非保有国」としての義務を履行していないことをもとにしている。これは朝鮮戦争休戦中の一方の当事者である国連が、その相手である朝鮮に対して行っている外交攻勢であるという解釈が、十分な正当性を持った結果である。それにもかかわらず国際メディアはそのことに触れるのを避けている。結局安保理だけでなく国際社会においては、休戦協定当事者である国連の責任が全く無視されている。南北両政府の斬首作戦は、言うまでもなく休戦協定違反であるし、斬首作戦を含む米韓軍事演習も国際法的には休戦中の非合法な軍事活動である。勿論、朝鮮の核と飛翔体の実験も休戦協定下で進められるべきでない軍事活動ではある。しかし軍事演習と違って戦略核開発という実践には使えない戦略核の実験であるというのが、朝鮮側の言い分である。朝鮮側は米国との直接交渉を要求しているが、これは休戦中にある朝米間の講和への動きとして、正当な要求であることも認めなければならない。

 問題はその朝米交渉に備えて、かつて米ソ間でおこなわれたように、相互確実破壊状態のもとでの対等な交渉をしようとしていることである。米国にはソ連となら対等の交渉をしたけれども、朝鮮と対等な交渉をしたくないという問題がひっかかっているのである。プーチン大統領のロシアは、ただ、ゴルバチョフ時代に相互的確破壊戦略を否定したソ連と違って、朝鮮によるこの戦略の採用を支持する、一種の代理戦争をしかけているようにも見える。朝鮮の戦略核部隊は、飛翔体実験成功を祝った時、万歳(マンセイ)三唱ではなく、ロシア式に三回こぶしをふりあがて「フラ、フラ、フラ」と絶叫していた。これは、戦略核部隊のロシアとの9回連呼することで連帯を表していた。一方、米国と朝鮮との間では、いわゆる「弱者の恐喝」関係がなりたっている。つまり米国としては、マッカーサー解任のとき以来の人道的な配慮、つまり朝鮮に対して核攻撃をすると、周辺の韓国はじめ、日本もまきこむことになるので、核兵器の実戦使用ができにくくなっている。朝鮮に対しては、広大な領土を持つソ連のように、まわりのクニグニをまきこまない核攻撃ができない。そう言った朝鮮の小さな領土が、米国の核確実破壊戦略の手を縛っている。結果的に、朝鮮は米国の本土を攻撃できる能力を持った場合、その能力を十二分に振り回すことができるようになるのである。けだし朝鮮の飛翔体実験が成功すると、米国には不利な状態が出てくる。そこにトランプが、マッカーサーの真似をして実戦核戦力を振り回したい気持ちの大前提がある。米合衆国の本土が朝鮮の核破壊範囲内に入る前に、韓国や日本だけを犠牲にできればそれも考慮するに値する。そうしたいという計画が米国のテーブルの上にあることを、トランプ大統領は好んで発言している。トランプ構想が日本を犠牲にすることも辞さないことを理解しないで、全面的に支持している安倍政権の危険な賭けに日本市民が引きずり込まれようとしている。トランプの対朝鮮政策を「狗の遠吠え」呼ばわりする朝鮮の国連代表にも問題があるけれども、その「遠吠え」に朝鮮に近接している日本が同調する「吠え方」には、それ以上の問題がある。日本を犠牲にして、朝鮮を懲らしめてもよいという安倍総理の発言の裏には、英雄的・犠牲的な精神の「大和魂」があるかもしれないが、日本国民にとってはとんでもない安全保障論に付き合わされていることになっている。そのことに気づかないで、核兵器の非人道性をもとにする核兵器廃絶論が理想的に過ぎるという単純思考で、日本列島を沈没させるトランプの核の傘を前提にする安保関連法を支持し、憲法を改悪する現在最も危険な政策をいかにも現実主義的だとすることは、全く朝鮮戦争史を無視し朝鮮戦争再発を容認するもっとも非現実的な発想である。

 朝鮮は、朝鮮半島(とその周辺諸国)の非核化を望んでいる。日本の平和市民も同じである。問題は米国がかつて採用していた「核相互確実破壊」戦略を採用しないと、対等な朝米講和会談ができないという思いを金正恩委員長が持っていて、これを朝鮮政府内のタカ派・ハト派が支持している、そういう状態で、どのような落としどころを見つけるか- 結局、核拡散防止条約の二流国扱いすることをやめて、非人道的な核兵器を嫌っている朝鮮と和解することしかない。朝鮮を核戦略での二流国にしておく現状を否定するほかに、朝鮮の核実験、飛翔体実験をやめて休戦条約から平和条約に移行する道はないのである。

— posted by mushak at 01:54 pm   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

今日の日本の四大国難:

88歳老人のたわ言と思われても、言うべきことは言わせていただく決心をしました。安倍晋三総理は、善意の愛国者とは思いますが、日本の国家と国民のために、四つの国難を準備しています。

第一の国難:日本国民の利害をおかす国政の私物化。モリトモ・カケ学園疑獄を国会討論に掛けないことで、日本国民は民主国家の主人でなくなります。

第二の国難:日本国民の平和な生活を脅かす政治。日本国民が国政について知るべき情報を入手したり伝えたりできないようにして、国家の名で紛争や戦争に駆り出される体制を準備、防諜法や安保関連法を強行採決したあとで、憲法の平和主義を改悪しようとして、日本国民が平和に暮らす権利を奪われます。

第三の国難:第二次朝鮮戦争の準備。トランプ米国大統領の尻馬に乗って、不必要な北朝鮮の挑発を続けることで、日本を第二次朝鮮戦争に巻き込もうとしています。

第四の国難:第二次世界金融恐慌の準備:アベノミックスで、国民の貧富の差を拡大するばかりか、日銀の金融緩和政策を延長して、日本の金融がいつか必ず行き詰って1929年のウールストリートに発する世界大恐慌よりも巨大な兜町発世界大暴落を準備しています。

この四つの国難の準備をとめることは、日本の国家と国民の生存のために絶対必要だと思います。

                 (武者小路公秀)

— posted by mushak at 01:23 pm   commentComment [0]  pingTrackBack [0]