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賀正

 
「令和」に因んだ狂歌一首。「冷月のン(ニスイ)おとした「梅の花」、和してめでたい、和して冷たい。」  冷たい風とともにゴーンさんは、Gone with the Windしました。江戸時代の伝統を生かした明治憲法下の刑事訴訟法の残りかすで、自白をせまる長い刑務所生活、罪刑法定主義の文明国にはない日本司法体験の結末、梅の花咲く冷え切った日本の風とともに、ゴーンさんがゴーンしました。本人の罪の有無はともかくとして、罪な法律の冷たい令和の正月です。その冷たい令和元年の暑苦しい9月13日の金曜日、私は自宅内で転んで額を強打、五針縫う手術、自覚症状はなかったけれども、MRIで脳内出血がみつかり、いつ自覚症状が急に起こるかわからないので、それ以来、4か月、ドクターストップの自宅軟禁状態で、11月には上海での学会にも行けず、フランシスコ教皇を歓迎する集会の準備にも欠席、昨年末、漸くMRIで、出血のカゲがきえかけているので活動再開が可能になりました。東京オリンピック・パラリンピック年に、侵略と戦争の長い20世紀の反省をもとにして、「21世紀を和解と包摂の世紀に」する国際的なウェビナールや国際集会の準備に参加したいと思っています。90歳の末期高齢者になっていますが、今までまとめるヒマがなかった「夢の数学」モデルの小論文をまとめて、国連のSDGsの持続可能性に向けた協力をしたいという「数学の夢」をもって、令和に「零和=ゼロ・サム」のゲーム理論を起こそうと思っています。SDGゲーミングをひろげれば、老人でも今日の若者たちと気持ちを通わせる可能性があるという「夢」を見ています。本年もよろしくお願いいたします。🤓

武者小路公秀

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日中関係に関する分析について:特に一帯一路計画に関係して

1.分析の枠組みいついて、配慮すべき問題:

 マスメディアの枠組は米中覇権競争について、米国覇権の現状維持が続くということと、続くことが日本の国益から望ましいという前提に立つ、現在の日本における安倍政権への右翼・左翼諸勢力の関係に関する短期な「見通し」に終始しています。

 われわれは米中覇権競争を重視するべきではあるけれども、中国の習近平政権の政策が、最近10年単位の短期的な政策と最短でも100年単位の長期的な政策について両者に配慮するように見えて、その実、短期・長期の間において必ずしも明確な見解がないことを前提にした分析を進めるべきでしょう。中国共産党の内部における短期的利害と長期的展望の意見の総合は、習近平主席によって進められていることを確認しつつも、主席自身、鄧小平思想と毛沢東思想の両側面があることを理解する必要があるのです- 対日政策においても、日本の侵略主義への警戒と日本の近代化モデルへの共感の両側面の存在を前提とするように。


2.習近平中国から見た今日の世界の見え方と日本との和解の対話:

 習近平主席の見ている今日の世界は、北京オリンピック開会式が魅せた中国4000年の歴史における中国文明が人類の「運命共同体」への貢献を示す華やかに各時代の素晴らしさを物語る一大イヴェントに、象徴されています。そこには、現代は人類運命共同体への中国の「王道」の寄与を実現するべき世界である、というメッセージが込められていました。習近平主席にとっても国際メディアが米中覇権競争ととらえている中米競争は、中国の王道とトランプ米国の覇道との対決と考えていることを理解する必要があります。

 中国にとっての「王道」は鄧小平の中国現代化による近代化、つまりサイバー空間・宇宙空間・欧亜大陸(アジア・アフリカ)における反中国・非中国世界への「王道」の普及と毛沢東の大同世界の大目標が中心になっています。中国国外で「米中覇権競争」と呼ばれている現象は、中国では不可視化されているのです。現代は中国の人類への「王道」を実現するべき世界であり、米中覇権競争などは中国の王道とトランプ米国の覇道との対決と考える視座から、国連憲章と世界人権宣言に支えられてきた冷戦終結後の「先進工業民主主義諸国」日・米・欧の「大西洋リベラリズム」も不可視化され、それに代わる一帯一路を、中国主導で西欧にも恩恵を与えるものとして、「人類の運命共同体」を利する「王道」を進めようとしているのです。

 中国がBRICS新興諸国の先頭に立っている今日、1955年の中印合意の周恩来・ネール「平和5原則」と、非西欧新興独立アジア・アフリカ諸国の「アジア・アフリカ」バンドン新興諸国会議の際の中国の立ち位置を、漸く具現化しようとしている側面があります。ただし、バンドン10原則は最初に国連憲章と世界人権宣言の尊重を打ち出しているので、人民の立場での反植民地主義・反差別の 国連人権外交を受け入れる可能性が安保理常任理事国にもあることを意味すると言える訳で、中国の「王道」の根底にある毛沢東の「大同世界」を指向する日本国憲法前文の「平和的生存権」を手がかりにするならば、中国との間で「文明間対話」が可能であり、必要ともされるでしょう。しかし安倍晋三政権下の日本は、国会を無力にする官邸中心の忖度官僚層の恩顧主義(clientelism=親分・子分主義)を使い、トランプを大親分とする形で日本の安倍晋三親分が子分(client)として日本が米国の属国(client state)になっている現状において、米日連合軍の前方基地である琉球弧を、西欧諸国との諸協定に比べて(幕末期に似た不平等条約である)相当不平等な基地協定下で米軍基地列島化している日本が、それをして対中国の圧力をかけている訳です。その結果、中国は「王道」の理想をあとまわしにして、過去の日本による侵略を上回る日米軍事・金融・科学技術圧力に対する「長征」のような長期的な覇権構想の根拠地として、一帯一路を背後に置く「根拠地」を構築する米日に対抗する意味で、サイバー空間・人工知能空間・宇宙空間・欧亜・アフリカ空間の総力戦国家への道を歩み始めていると言えるでしょう。


3.日中協力関係が世界の平和に不可欠であるという視点:

 現在の世界の特色は、冷戦に勝利した日米欧「先進工業民主主義諸国」の大西洋リベラリズムに支えられた国連中心の人権・人道介入が行き付くところに行け付いた時代です。世界に民主主義と人権を外発的に普及する日米欧先進工業諸国は、反テロ戦争や恩顧主義と憎悪主義を結合させたネオ・ファシズムが台頭して、内部崩壊しています。「米」はトランプ「米国第一主義」で、移民進入防止の壁を中心とする憎悪主義・ポピュリズム勢力によって議会制民主主義が無視され、「欧」では英国の離脱と難民・移民反対の右翼勢力が台頭してウェストミインスタ-議会制民主リベラリズムが自壊。「日本」では、忖度官僚層の官邸恩顧主義のもとで、米国属国化が進行しています。そこで、日米欧にかわる新興覇権中国を中心とするBRICS諸国の台頭という非西欧世界の反西欧主義、つまりWESTへのRESTのグローバルな挑戦が起きているのです。

 その中で、トランプ米国への安倍政権日本の属国化が、中国においては日米による脅威として意識されています。日中関係の歴史が繰り返す日本脅威論の固定化が、中国の「王道」からそれる「覇道」的な米中覇権競争の原因となっていることに対処する必要があります。否定できない現象である米中覇権競争は、海洋支配からサイバ―技術、宇宙開発技術・人工知能開発に広がっています。しかし一帯一路構想には、毛沢東思想の民衆中心の「大同思想」が根底にあり、シルクロードの一帯地域の隊商交易の平等互換政治経済が漢民族主義の一人歩きを矯正して、漢民族とその他の諸民族が対等に各自の個性を尊敬しあう共通の「中華民族」という中華秩序を支える「複合的なアイデンティティ」の構築を可能にしてもいるのです。習近平主席は一帯一路計画の実施について、「互学互鑑」のもとで進めると述べています。この複合的な地域を中国領域国家に縛り付けずに、中央アジアからアフリカに至る乾燥地帯諸国の平等 ・互恵の広域として共同発展させる、との文明構想なのです。しかし実際この「構想」は短期的には、中国の過剰労働力を一帯一路地域における租界に住み着かせる構想になっています。租借・租界システムの英国が用いた植民地主義侵略の問題性は、中国が最もよく知っている「王道」に悖る、「覇道」の例になりかけていることに留意する必要があります。

 結果、中国の贈与経済の伝統に従って、一帯一路関係諸国の政治家や財界の中の中国へ協力を口約束する不特定多数の団体に、カネをばらまいていると「一帯一路」反対の立場のメディアから指摘されています。アジア開銀などのOECD諸国の開発協力は、経済援助・技術提携について、受け取り手の民主主義・人権などの条件(conditionality)を付けるほか、援助対象地域の民衆の意見を聴取する地域市民活動家から、受け取り手住民の開発援助に対する意見を聞き取る政策をとっています。目下、中国の一帯一路計画(AAIB資金活用)と日本が後押ししているインドの「自由で開かれた太平洋・インド洋」計画の間に連携交渉が進んでいるので、国家レベルの合意だけでなく直接両計画の開発援助を受けている地域住民の意見を汲み取る「互学互鑑」現場委員会ネットワークを作ることなどを以た住民レヴェルの参加により、「一帯一路」計画と「自由で開かれた太平洋・インド洋」計画をバンドン10原則と周恩来・ネール平和5原則に基づかせるよう、日中印三国の市民協力で保障する必要があります。


4.憎悪主義・恩顧主義ネオ・ファシズムへの非暴力レジスタンスの日中協力

 そこで結論として最緊急の課題をあげるなら、トランプ・安倍晋三の憎悪主義反人権と恩顧主義(親分・子分関係)の忖度ネオ・ファシズムに対抗する非暴力レジスタンスの人民レヴェルと国家レヴェルを連動させるグローバルなレジスタンス運動を編制することが必要となるでしょう。憎悪主義・恩顧主義ネオファシズムの台頭は、冷戦後の「日米欧」単一覇権の崩壊と連動して(第一次大戦後の国際連盟西欧中心国際法秩序の崩壊がヒットラー中心のファシズム枢軸が結成されたように)、トランプ中心の「米国中心主義」による米国議会主義の機能不全、西欧からの英国離脱と加盟諸国での憎悪主義勢力の台頭、日本における安倍・麻生忖度官邸による国会無視と安倍・トランプの恩顧関係(親分・子分関係)による日本を属国とする米国の東アジアにおける「前方展開」沖縄軍事基地列島の形成、等の諸現象が連冷戦終結後の「日米欧」先進工業民主主義諸国による単一覇権世界体制の崩壊という世界システムの全面危機が生じています。そこで、ファシズム反対の非暴力レジスタンスを結集し日本の反忖度勢力と中国の王道勢力が相協力することで、中国が核軍事化・科学技術の総力戦国家化の覇道に転化することを食い止めるべきなのです。

 太平洋・インド洋・大西洋を「平和の海」とし、アジア大陸をアジア・中近東・アフリカにおけるテロリズムと文明間の対決を「和解」させる「平和と和解の大陸」とすることを、中国とインドとのピラミッド型の両文明を平準化するレジスタンスという形で進める必要があります。そんな一帯地域はまた、イスラーム世界と非イスラーム世界との平和共存・平等互恵という課題とも取り組むべき地域であることを忘れてはならないことを付記します。

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令和新天皇即位について

 令和新天皇即位について、一つ注目すべき問題があり、日本国を米国の属国とみなすオーストラリアのマッコーマクウ教授の説が裏付けられたように思えてならない。そう思うことが間違っていることを期待しながら、私が気になっていることをスナオに説明するので、私の間違いをだれかに私的してもらいたい。
 日本国憲法の第7条、第9項で天皇の国事に関する行為として、外国の大使及び公使の接受がふくまれている。私の知るところでは19世紀のウィーン会議以来、国際社会を構成する文明諸国の間に、各国政府はその他の諸国家の大使・公使が構成する「外交団(corpus diplmaticus)」を相手にして、外交交渉の共通の相互関係に関する相互理解を確立すること、その外交団の構成員は各国の元首による信任状認証によって接受された大使・公使であることになっている。日本国憲法第5条第9項は、その意味で、天皇が日本国政府の「外交団」を接受するものとしていて、天皇の葬儀や即位式には、外交団として式典に招かれることになってきた(明治憲法以来の伝統である)。メディアの報道ではトランプ大統領が国賓となって、新天皇を訪問することが報じられているだけで、「外交団」が新天皇の即位を知らされて式典に参加することが報じられていない。日本が米合衆国の属国になっているというマッコーマック説に従えば、認証された大使・公使を即位式に招待することは不必要である。しかし、日本国憲法が独立国の憲法であるとすれば、新しい天皇の即位式に「外交団」が招かれないないことは、延納の代替わりを国際社会に公表しないこととして、国際的な儀礼に反する。そのことをどう日本政府は説明するのだろうか?

— posted by mushak at 01:23 pm   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

和解のための対話

長い20世紀が核兵器を開発した帝国主義・植民地侵略競争の世紀だったことを反省して、21世紀が核兵器保有帝国主義の世紀ではなく、「和解の世紀」にするためのSDG対話を開く「和解のための対話」第一号とする。

1. 問題の所在
 日中両国における国内和解は、日中の国家レヴェルにおける和解なしには進まないことを確認する必要がある。それと同時に、日中両国の和解は、両国内の少数民族・先住民族 との和解と密接に関連付ける「和解のための対話」を展開したい。

2.提案の背景
南京大虐殺記念館入り口に「国家の統一がおびやかされると、外に侮りを受ける。南京大虐殺が再び起こらないためには、分裂を許さない強大な中国の一体性が不可欠であることを主張していて、中国における少数民族政策は、南京大虐殺の記憶をうち消す日本との和解は不可欠である。一方、日本におけう沖縄県を米軍事基地群島化の人間不安全は、米国への日本の従属関係を清算しないかぎり解決できない。この従属関係には、中国に対する米軍の「前方展開(Forwards-Deployment)」において琉球弧が、米軍の対中国前方展開基地であり続けることで、日中和解が困難になっていることに密接に関係している。したがって、日中両国における少数民族・先住民族の平和的生活権は、日中両国の和解が成立しないあいだ、両国の少数民族・先住民族の平和に生存する条件を保証することは極めて困難である。その意味で「21世紀を「和解の世紀」にするSDG対話の中心的な課題として、「日中両国の和解と両国における国家と少数民族・先住民族の和解の問題を取り上げる。

3.和解」を裏付ける法文化的な諸理念
中国と日本における国家と少数民族・先住民族の間の対立状況は、中国でも、日本でも、国家と少数民族・先住民族との和解を支える文化的な内発的な法理念、社会理念が存在している。これを手がかりにして、和解への対話を進めることが可能である。少数者と先住民族の権利を明確に主張している国際的な人権法のみに頼らないで、この権利を内発的に支える、中国の「和偕」と日本の「共生」の倫理にささえられた「和解を求める対話」を展開することができるはずである。

4.1 中国では、「中華民族」という、漢民族と少数諸民族の対等な伝統価値の尊重に基づく共生による多文化的な中国人民の国民的な「アイデンティティ」が、1960年代に費孝通によって提案されて、中国共産党によって認められている。また、習近平主席の一帯一路国際発展計画は「互学互鑑」によって、地域的に参加するローカル諸地域共同地の協力、社会発展の方向の決定に参加することがうたわれている。

4.2 日本では、広島・長崎の被爆者も、日本の周辺諸国に対する加害者でもあることを認める故本島長崎市長の例にみられるように、20世紀の植民地主義侵略への反省があり、これが、日本国憲法の前文と9条特に2項に表現されている。この反帝国主義・反核の姿勢は、故本島等長崎市長の例にみられる、被爆体験の被害者の意識と、日本国民として植民地主義侵略とこれに伴う残虐行為の加害者の反省の意識がかさなっている。被爆者を含む日本国民は、日本国憲法の前文における「平和に生存する権利」の確認と、憲法9条特にその2項において、日本がふたたび軍事侵略を行わないことを誓い、同時に帝国主義が核化することに反対する姿勢を貫くべきである。日本国の市民はまた、特に琉球先住民族への日本国家の「処分」について、謝罪する気持ちをいだいている。特に琉球王国の併合や、第二次大戦下で戦場と化した沖縄の非戦闘員市民を巻き込んで多大の苦しみをあたえたこと、そしてまた現在も、米軍事基地群島の閉鎖された島々で、人間としての安全が絶えず破られる閉じられた基地群島で生活することを強要されている。これに対して、非暴力抵抗をする市民には警察権力が収監などの処罰をもって対処している。このことへの日本本土の市民の反省は、マスメディアによって不可視化されている。

5.このSDG対話の狙い
「21世紀を「和解」の世紀とする「国際インターネットSDG対話」のなかで、「日中両国の和解」と両国における少数民族・先住民族との和解は、国家を絶対視し、帝国主義・植民地主義競争に駆り立ててきたウェストファリア国家体制とは異質の人間中心、生命中心、内発文化中心の「和偕」「和合」「共生」があり、多数者の独りよがりを否定する倫理が働いている。そういう内発的な倫理と、西欧で発展した普遍主義的な人権とを、ウマク纏めていく話し合いが必要である。ウェストファリア国家の枠内でそだってきた人権と、の立場で、その権力志向、競争志向を中和する伝統知を対話によって組み合わせる、そういう「和解」のための対話をすすめたい。その場合、弱い立場にある少数民族・先住民族の立場で、人間の安全を保障する体制をウマク立ち上げる必要がある。国家の立場をそれぞれのローカルな住民、そのなかの弱い立場にあるヒトビト中心に「和解」をすすめるために、少数民族・先住民族の若者を中心にして、国家が進めている計画を、ローカルな人々の立場で評価する人民とくにマイノリティの立場からの評価をまとめて、国連の人権きじゅん、あるいは人間の安全保障基準を解釈するネットワークを作っていく必要がある。そういうネットワークで主体的に活動できる活動家、特に少数民族、先住民族の若者に、国連での人権基準とのすり合わせ方を教えて、固有の内発発展の道を国連でも理解してもらえるようにする若者の養成が必要になる。日中両国の間で、少数民族・先住民族の立場を多数者の市民が理解して、まずそこから、「和偕」「和合」「共生」の動きを作っていく、そういう日中両国間、そして両国の国家と少数民族・先住民族の対話を進める。いうまでもなく、この対話には、第三国の市民からの質問や助言によって支えられるべきである。この日中間の和解についてのSDGインタネット対話を、「21世紀を「和解の世紀」にするSDG 対話の第一号にしたい。

— posted by mushak at 09:47 pm   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

核帝国主義時代20世紀と決別する2020年

 2020年東京オリンピックの年は、日本国憲法の「平和に生存する権利」とその適用である第9条、特に第2項が、国民投票によって再確認されるべき年でもあります。そこで、かつての冷戦よりも世界各国のヒトビトと自然の安全が日常的に脅かされ続ける暗黒の時代になろうとしている危険な現状をくい止めるために、20世紀以来の核帝国主義と決別する人類の意志を力強く示す必要があります。そのような大イヴェントによって、オリンピック開会式を歴史的な意味のある式典にできたら、という提案をします。これは、七人委員会とは関係のない、あくまでも私個人の「夢」です。この「夢」の起源は、平昌オリンピック開会式のテレビを視ながら七人委員会のアピールを読み返していたトランプ大統領の「核態勢の見直し」と、これに対する河野外相の談話に関するこのアピールの次の一節です。「この度の政策は、昨年成立した核兵器禁止条約に真っ向から挑戦するものであり、米国も加盟している核兵器不拡散条約の、核軍備競争の早期停止と核軍縮についての誠実な交渉の約束にも明らかに違反するものである」 明らかにトランプ政権は「核兵器禁止条約」に挑戦しその正反対の方向で、小型化した核の実戦利用にのりだしているのです。トランプ大統領の見直しは、生物化学戦のほか、ハッカーを使う電子戦争、人工知能を駆使する金融戦争など多様な戦闘手段と組み合わせて、小型核をそのまさにトランプ(切り札)にする多面複雑核紛争戦術をあみだしたのです。そうすることで20世紀の核帝国主義を越えた新しい冷戦の暗黒時代に入ろうとする世界の不安定化を、止める必要があります。

 それには19世紀後半から20世紀にかけて、帝国主義つまり大国間の植民地主義侵略競争が、広島・長崎で核爆弾を投下するところまでエスカレートしてきたことを振り返り、これにはっきり「ノー」という「核兵器禁止条約」によって代表される人類の意志を確認する必要があるのです。日本も現在の様に国際的な失笑を買うばかりの変な自己弁解史観をふりまわすのをやめて、日本だけが悪いのではないものの、日本も植民地侵略をしたとの過ちを米欧諸国に先立って認め、核兵器の非人道性に目覚めている唯一の大国として、「核帝国主義」の罪悪の「罪滅ぼし」の先頭に立つべきです。2020年東京オリンピックの開会式か前夜祭において、「核の傘」が役に立たない時代が始まっていることもイメージできるような20世紀核帝国主義歴史絵巻を東京オリンピックの「売り物」にすべきです。例えば、空襲の歴史- スペイン市民戦争時のヒットラー空軍ゲルニカ空爆、日本軍の重慶爆撃、米英空軍のドレスデン爆撃、真珠湾空爆、東京・大阪空襲から広島・長崎原爆投下にいたるイメージングなどを、是非若者にも見てもらいたいものです。

   しかし日本のオリンピック関係者が、私の夢を現実にはしてくれないことはよく知っています。実はこれと並行したもっと現実化できる「夢」もあります。それは、東京でなく、富士山か伊勢あたりで、「20世紀核帝国主義時代を振り返り、これと決別する国際研究集会」を、ピースボートと九条の会で開催して頂くことです。20世紀の核帝国主義を、日本国憲法前文の「平和に生存する権利」の立場から批判して、九条の歴史的な意味を核帝国主義反対の立場で浮き彫りにするのです。すでに、1998年韓国光州で「アジア人権憲章」を公表したアジア人権会議、その生命権・平和権と人間の安全保障を継承した2011年にスペインで開催された「平和への権利」サンティャーゴ・デ・コンポステラ国際会議が、平和的生存権について議論しています。この両会議で議論された成果を生かして、反帝国主義・反核の充実した国際対話が出来ます。両会議の流れを汲んで「20世紀核帝国主義」の克服を宣言することは、日本国憲法の九条を護持するうえでも、時宜にかなっていると思います。またこの国際研究集会は、メディア報道によってオリンピックで日本を訪れる世界のヒトビトにも、「核兵器禁止条約」の重要性と広島・長崎の被爆者を中心とする日本市民の平和主義を理解してもらうきっかけになると思います。



 追記:紙面の関係で省略した説明を付記します。

1.ここで使用している「多面複雑核戦術」とは、先ず前提として、従来の米国とNATOの核兵器に関する軍事学の厳密な「相互確実破壊」核戦略による核戦争の抑止とこれに基づく「核の傘」理論を完全に否定、新たに核戦略を補完する柔軟対応核戦術と呼ばれる、仮想敵の実戦核から低強度作戦(テロやデモ)までのすべての軍事レヴェルの攻撃に対抗する軍事力を保有し、全世界に前方展開基地をもつ冷戦時代からの軍事力保持戦術を充実させ、生物化学戦のレヴェルでの遺伝子操作を加えるとともに、反テロ低強度戦術にはテロ容疑者尋問の心理戦・ツイッターなどSNSの宣伝戦・ハッカーを利用する情報攪乱戦術・株価操作の金融戦の諸技術を加えたうえで、小型化された実戦核兵器と複雑に組み合わせることで軍事紛争と警察行動の敷居での諸紛争に対応し、結果核レヴェルでの軍事・警察活動を多面的に組み合わせる戦術です。北朝鮮が1970年代までの米国の「相互確実破壊」戦略を模倣している時代遅れ諸実験、米国の核戦略的優勢にたよる日本の「核の傘」議論の時代遅れの政府議論は、この新しい米国の核戦術を全く理解していないことを付記します。

2.上記の米国の核態勢見直しは、「核不拡散条約」を無視するばかりでなく、同条約を国際的な法秩序の不安定化をもたらす危険な条約にしています。同条約の不平等条約の二級諸国のなかで、事実上核兵器を所有している、イスラエル、インド、パキスタンと、この条約の不平等性に挑戦する北朝鮮が現れて、「核不拡散」条約の法的規制力、法的安定性を失わせています。にもかかわらず、イラン・イスラエル間、米国と朝鮮の間の核戦略体制は、核軍備規制と核の「平和利用」という原発の廃棄を困難にする条約になっています。国連軍縮局は1990年代に核兵器の非人道性を強調する軍縮教育よりも、「核不拡散教育」によって核非保有国の手を縛り、核保有国の遅々とした保有核の逓減を許しています。その意味で「核兵器禁止条約」の確立とともに、「核不拡散条約」を廃棄する必要があります。同時にこの条約で現在原発全廃への抵抗勢力の拠点となっているIAEAを改組する市民運動を組織する必要があります。

3.核帝国主義時代として20世紀を捉える場合、まず20世紀をアリッギのいわゆる「長い20世紀」として、19世紀後半- たとえば英国と中国との阿片戦争以来の、欧米による非西欧世界の植民地化の一世紀半を含める必要があります。そして、明治期日本が植民地化されないためには自ら強大な植民地支配国となるべきだ、と教えた吉田松陰の教えに従った明治日本が、北はアイヌ民族を従えてアリューシャンまで、西は韓国を併合して中国に満州国を建国、南には琉球王国を併合して、台湾とフィリッピンを植民地化していった「幽囚録」のありさま- その到達点になった広島・長崎の核投下に至る日本の核帝国主義の末路を、貴重な教材とする「懺悔道」(田辺元)を手掛かりにした広島・長崎に福島を加えた軍事核と平和核を含む総合的な反核・反帝国主義の立場で、「長い20世紀」を捉える必要があると思います。

4.日本ではあまり知られていませんが、日本国憲法前文の「恐怖と欠乏を免れた平和に生存する権利」を主張するアジアおよびラテンアメリカの二つの平和的人権運動のよる人権宣言があります。第一に、1998年に光州で公表されたアジア人権憲章があります。1990年代に香港の「アジア人権評議会」がアジア各地で開いた人権活動家・弁護士・法学者の研究会議での議論を集約した成果を集めたアジア地域の反帝国府議的な人権文書で、世界人権宣言を支持しながらアジア民衆の立場として、人権の基本を生命の権利、これを支える平和に生存する権利と、これから流れ出る諸文化共同体に固有な生活文化権・多様性と内発性から、思想の自由権・不当な政府圧政への抵抗権等を記している日本国憲法の「平和的生存権」を、アジアの生きとし生ける命の尊重として協調しています。第二は、ラテンアメリカでチリはじめアルゼンチン・ブラジルなどの軍事独裁政権と闘う民衆が主張した、軍事独裁の国家安全保障に対抗する「民衆の安全保障」です。これにより、「人間の安全保障」の基礎になった「平和に生存する権利」を主張する「平和への権利」が生まれました。この権利外縁は、ラテンアメリカ先住民族の伝統的な人権思想、パチャママ(母なる大地)、スマックカウザイ(喜びに満ちた天地の秩序に支えられた善き生活)を吸収して、ラテンアメリカ特有の人権思想になりました。これを国連に認めさせようということで、ラテンアメリカ民衆の奴隷化及びその資源の収奪の加害の歴史的責任の反省のもとで、スペイン人権運動家が支持して開いた一連の準備会議を総括し、スペインの巡礼地であるサンティアーゴ・デ・コンポステラで2011年に開かれた国際大研究集会で採択された「平和への権利」宣言があります。この集会ではアジア人権憲章と日本国憲法の大原則が取り入れられて、「生命とその多様性」尊重の原則と、平和的生存権に基づく「人間の安全保障」の権利が主張されています。両人権文書は、アジアとラテンアメリカの内発運動から生まれた反植民地主義・反帝国主義・平和主義・内発主義によって、20世紀の核帝国主義の克復を主張する2020年の「核帝国主義時代20世紀の克復」の格好の手本となると思います。

5.ピースボートと憲法九条の会の協力は、すでにピースボートによる憲法九条の国際キャンペーンの歴史に支えられていると信じます。言うまでもなく、余計な口出しはいたしません。ただ、紙面の都合で省略した「核帝国主義時代20世紀」に続く21世紀の可能性を、核帝国主義が集中した欧亜大陸と太平洋(とインド洋)の反核・反帝国主義の可能性を模索する未来に開かれた国際研究集会になる必要があると思います。そこで、反帝国主義の立場をとる中国の一帯一路政策を反核の立場に立って批判的に支持することが必要だと思います。先ず、一帯地域の非核化の検討を儒教・仏教・イスラームの非暴力非核思想との対話を開始すること。また、一路の非核化について、太平洋・インド洋の非核化における、ラテンアメリカを含む海洋アニミズム文明の平和的生存思想との対話を開始すること。この二つの対話によって、21世紀を支える国際集会になることが必要です。この内陸一帯と海洋一路を打ち出して、平和に生存できる多様な文明間の和解を探ることができれば、2020年に新しい非核・脱帝国主義の時代への再出発の年にする道が開かれます。この線で、ポスト近代世界市民社会の形成に向ける国際市民会議という世界が必要としている、かけがえのない国際集会を企画することをお願いしたいと思います。

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