長い20世紀が核兵器を開発した帝国主義・植民地侵略競争の世紀だったことを反省して、21世紀が核兵器保有帝国主義の世紀ではなく、「和解の世紀」にするためのSDG対話を開く「和解のための対話」第一号とする。
1. 問題の所在
日中両国における国内和解は、日中の国家レヴェルにおける和解なしには進まないことを確認する必要がある。それと同時に、日中両国の和解は、両国内の少数民族・先住民族 との和解と密接に関連付ける「和解のための対話」を展開したい。
2.提案の背景
南京大虐殺記念館入り口に「国家の統一がおびやかされると、外に侮りを受ける。南京大虐殺が再び起こらないためには、分裂を許さない強大な中国の一体性が不可欠であることを主張していて、中国における少数民族政策は、南京大虐殺の記憶をうち消す日本との和解は不可欠である。一方、日本におけう沖縄県を米軍事基地群島化の人間不安全は、米国への日本の従属関係を清算しないかぎり解決できない。この従属関係には、中国に対する米軍の「前方展開(Forwards-Deployment)」において琉球弧が、米軍の対中国前方展開基地であり続けることで、日中和解が困難になっていることに密接に関係している。したがって、日中両国における少数民族・先住民族の平和的生活権は、日中両国の和解が成立しないあいだ、両国の少数民族・先住民族の平和に生存する条件を保証することは極めて困難である。その意味で「21世紀を「和解の世紀」にするSDG対話の中心的な課題として、「日中両国の和解と両国における国家と少数民族・先住民族の和解の問題を取り上げる。
3.和解」を裏付ける法文化的な諸理念
中国と日本における国家と少数民族・先住民族の間の対立状況は、中国でも、日本でも、国家と少数民族・先住民族との和解を支える文化的な内発的な法理念、社会理念が存在している。これを手がかりにして、和解への対話を進めることが可能である。少数者と先住民族の権利を明確に主張している国際的な人権法のみに頼らないで、この権利を内発的に支える、中国の「和偕」と日本の「共生」の倫理にささえられた「和解を求める対話」を展開することができるはずである。
4.1 中国では、「中華民族」という、漢民族と少数諸民族の対等な伝統価値の尊重に基づく共生による多文化的な中国人民の国民的な「アイデンティティ」が、1960年代に費孝通によって提案されて、中国共産党によって認められている。また、習近平主席の一帯一路国際発展計画は「互学互鑑」によって、地域的に参加するローカル諸地域共同地の協力、社会発展の方向の決定に参加することがうたわれている。
4.2 日本では、広島・長崎の被爆者も、日本の周辺諸国に対する加害者でもあることを認める故本島長崎市長の例にみられるように、20世紀の植民地主義侵略への反省があり、これが、日本国憲法の前文と9条特に2項に表現されている。この反帝国主義・反核の姿勢は、故本島等長崎市長の例にみられる、被爆体験の被害者の意識と、日本国民として植民地主義侵略とこれに伴う残虐行為の加害者の反省の意識がかさなっている。被爆者を含む日本国民は、日本国憲法の前文における「平和に生存する権利」の確認と、憲法9条特にその2項において、日本がふたたび軍事侵略を行わないことを誓い、同時に帝国主義が核化することに反対する姿勢を貫くべきである。日本国の市民はまた、特に琉球先住民族への日本国家の「処分」について、謝罪する気持ちをいだいている。特に琉球王国の併合や、第二次大戦下で戦場と化した沖縄の非戦闘員市民を巻き込んで多大の苦しみをあたえたこと、そしてまた現在も、米軍事基地群島の閉鎖された島々で、人間としての安全が絶えず破られる閉じられた基地群島で生活することを強要されている。これに対して、非暴力抵抗をする市民には警察権力が収監などの処罰をもって対処している。このことへの日本本土の市民の反省は、マスメディアによって不可視化されている。
5.このSDG対話の狙い
「21世紀を「和解」の世紀とする「国際インターネットSDG対話」のなかで、「日中両国の和解」と両国における少数民族・先住民族との和解は、国家を絶対視し、帝国主義・植民地主義競争に駆り立ててきたウェストファリア国家体制とは異質の人間中心、生命中心、内発文化中心の「和偕」「和合」「共生」があり、多数者の独りよがりを否定する倫理が働いている。そういう内発的な倫理と、西欧で発展した普遍主義的な人権とを、ウマク纏めていく話し合いが必要である。ウェストファリア国家の枠内でそだってきた人権と、の立場で、その権力志向、競争志向を中和する伝統知を対話によって組み合わせる、そういう「和解」のための対話をすすめたい。その場合、弱い立場にある少数民族・先住民族の立場で、人間の安全を保障する体制をウマク立ち上げる必要がある。国家の立場をそれぞれのローカルな住民、そのなかの弱い立場にあるヒトビト中心に「和解」をすすめるために、少数民族・先住民族の若者を中心にして、国家が進めている計画を、ローカルな人々の立場で評価する人民とくにマイノリティの立場からの評価をまとめて、国連の人権きじゅん、あるいは人間の安全保障基準を解釈するネットワークを作っていく必要がある。そういうネットワークで主体的に活動できる活動家、特に少数民族、先住民族の若者に、国連での人権基準とのすり合わせ方を教えて、固有の内発発展の道を国連でも理解してもらえるようにする若者の養成が必要になる。日中両国の間で、少数民族・先住民族の立場を多数者の市民が理解して、まずそこから、「和偕」「和合」「共生」の動きを作っていく、そういう日中両国間、そして両国の国家と少数民族・先住民族の対話を進める。いうまでもなく、この対話には、第三国の市民からの質問や助言によって支えられるべきである。この日中間の和解についてのSDGインタネット対話を、「21世紀を「和解の世紀」にするSDG 対話の第一号にしたい。
1. 問題の所在
日中両国における国内和解は、日中の国家レヴェルにおける和解なしには進まないことを確認する必要がある。それと同時に、日中両国の和解は、両国内の少数民族・先住民族 との和解と密接に関連付ける「和解のための対話」を展開したい。
2.提案の背景
南京大虐殺記念館入り口に「国家の統一がおびやかされると、外に侮りを受ける。南京大虐殺が再び起こらないためには、分裂を許さない強大な中国の一体性が不可欠であることを主張していて、中国における少数民族政策は、南京大虐殺の記憶をうち消す日本との和解は不可欠である。一方、日本におけう沖縄県を米軍事基地群島化の人間不安全は、米国への日本の従属関係を清算しないかぎり解決できない。この従属関係には、中国に対する米軍の「前方展開(Forwards-Deployment)」において琉球弧が、米軍の対中国前方展開基地であり続けることで、日中和解が困難になっていることに密接に関係している。したがって、日中両国における少数民族・先住民族の平和的生活権は、日中両国の和解が成立しないあいだ、両国の少数民族・先住民族の平和に生存する条件を保証することは極めて困難である。その意味で「21世紀を「和解の世紀」にするSDG対話の中心的な課題として、「日中両国の和解と両国における国家と少数民族・先住民族の和解の問題を取り上げる。
3.和解」を裏付ける法文化的な諸理念
中国と日本における国家と少数民族・先住民族の間の対立状況は、中国でも、日本でも、国家と少数民族・先住民族との和解を支える文化的な内発的な法理念、社会理念が存在している。これを手がかりにして、和解への対話を進めることが可能である。少数者と先住民族の権利を明確に主張している国際的な人権法のみに頼らないで、この権利を内発的に支える、中国の「和偕」と日本の「共生」の倫理にささえられた「和解を求める対話」を展開することができるはずである。
4.1 中国では、「中華民族」という、漢民族と少数諸民族の対等な伝統価値の尊重に基づく共生による多文化的な中国人民の国民的な「アイデンティティ」が、1960年代に費孝通によって提案されて、中国共産党によって認められている。また、習近平主席の一帯一路国際発展計画は「互学互鑑」によって、地域的に参加するローカル諸地域共同地の協力、社会発展の方向の決定に参加することがうたわれている。
4.2 日本では、広島・長崎の被爆者も、日本の周辺諸国に対する加害者でもあることを認める故本島長崎市長の例にみられるように、20世紀の植民地主義侵略への反省があり、これが、日本国憲法の前文と9条特に2項に表現されている。この反帝国主義・反核の姿勢は、故本島等長崎市長の例にみられる、被爆体験の被害者の意識と、日本国民として植民地主義侵略とこれに伴う残虐行為の加害者の反省の意識がかさなっている。被爆者を含む日本国民は、日本国憲法の前文における「平和に生存する権利」の確認と、憲法9条特にその2項において、日本がふたたび軍事侵略を行わないことを誓い、同時に帝国主義が核化することに反対する姿勢を貫くべきである。日本国の市民はまた、特に琉球先住民族への日本国家の「処分」について、謝罪する気持ちをいだいている。特に琉球王国の併合や、第二次大戦下で戦場と化した沖縄の非戦闘員市民を巻き込んで多大の苦しみをあたえたこと、そしてまた現在も、米軍事基地群島の閉鎖された島々で、人間としての安全が絶えず破られる閉じられた基地群島で生活することを強要されている。これに対して、非暴力抵抗をする市民には警察権力が収監などの処罰をもって対処している。このことへの日本本土の市民の反省は、マスメディアによって不可視化されている。
5.このSDG対話の狙い
「21世紀を「和解」の世紀とする「国際インターネットSDG対話」のなかで、「日中両国の和解」と両国における少数民族・先住民族との和解は、国家を絶対視し、帝国主義・植民地主義競争に駆り立ててきたウェストファリア国家体制とは異質の人間中心、生命中心、内発文化中心の「和偕」「和合」「共生」があり、多数者の独りよがりを否定する倫理が働いている。そういう内発的な倫理と、西欧で発展した普遍主義的な人権とを、ウマク纏めていく話し合いが必要である。ウェストファリア国家の枠内でそだってきた人権と、の立場で、その権力志向、競争志向を中和する伝統知を対話によって組み合わせる、そういう「和解」のための対話をすすめたい。その場合、弱い立場にある少数民族・先住民族の立場で、人間の安全を保障する体制をウマク立ち上げる必要がある。国家の立場をそれぞれのローカルな住民、そのなかの弱い立場にあるヒトビト中心に「和解」をすすめるために、少数民族・先住民族の若者を中心にして、国家が進めている計画を、ローカルな人々の立場で評価する人民とくにマイノリティの立場からの評価をまとめて、国連の人権きじゅん、あるいは人間の安全保障基準を解釈するネットワークを作っていく必要がある。そういうネットワークで主体的に活動できる活動家、特に少数民族、先住民族の若者に、国連での人権基準とのすり合わせ方を教えて、固有の内発発展の道を国連でも理解してもらえるようにする若者の養成が必要になる。日中両国の間で、少数民族・先住民族の立場を多数者の市民が理解して、まずそこから、「和偕」「和合」「共生」の動きを作っていく、そういう日中両国間、そして両国の国家と少数民族・先住民族の対話を進める。いうまでもなく、この対話には、第三国の市民からの質問や助言によって支えられるべきである。この日中間の和解についてのSDGインタネット対話を、「21世紀を「和解の世紀」にするSDG 対話の第一号にしたい。
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